漫画のラヴと性善・性悪

昨日買ったきづきあきら+サトウナンキ「バーバ・ヤガー(1)」「まんまんちゃん・あん(3)」と、以前からベッド脇に鎮座しているむんこ「だって愛してる(1)(2)」を読む。

まんまんちゃん、あん。 第3巻 (バーズコミックス)

まんまんちゃん、あん。 第3巻 (バーズコミックス)

バーバ・ヤガー 1 (MFコミックス アライブシリーズ)

バーバ・ヤガー 1 (MFコミックス アライブシリーズ)

だって愛してる 1 (まんがタイムコミックス)

だって愛してる 1 (まんがタイムコミックス)

だって愛してる 2 (まんがタイムコミックス)

だって愛してる 2 (まんがタイムコミックス)


舞台・設定は別にしろ、ああこんなこと考えるかもねと思うくらいのリアリティはどれにも存在しているし、面白い。加えて共通しているのは、男女の情愛が絡むところだ。しかしながら、そこには両作者の明確な違いが存在する。

  • 結婚


「まんまんちゃん・あん」と「だって愛してる」の両作品でキーとなるのは、結婚だ。ただ、前者は制度としての結婚であり、後者は男女ふたりの関係の帰着としての結婚である。


「まんまんちゃん・あん」で描かれているのは、寺の跡継ぎを決めるまでの過程だ。そのために、未亡人である主人公と、無き夫の弟の坊さんやら檀家から差し向けられた坊さんが結婚という手段で、主人公と跡継ぎを両方ゲットしようとする。ところどころで情愛は要素として顔を出すが、それは純粋なラヴではない。最初に欲があって、その穴埋めのようにある。


「だって愛してる」では、結婚までの過程はほとんど描かれない。あくまでも夫婦の生活が主体だ。貧乏生活の苦難に夫婦関係が明るいタッチで描かれ、ときどきシリアスモードで胸キュンさせる。不運はあっても不幸はない。

  • サブキャラの立ち位置


「まんまんちゃん・あん」に出てくるキャラクターはみんなリアリストだ。無根拠な幸せなど夢見てはいない。なにかしらの行動に根ざした結果だけを信じている。そのために邪魔になる敵を排除しようとしている。それはサブキャラにおいても同じだ。


「だって愛してる」は、基本的に誰も悪意を持たない。夫婦を微笑ましく取り巻くのみ。

  • 根ざすところ


結局のところ、前者においては法律のようなルールに従ってキャラクターが動く。後者はそういう意図はあまりみられない。むしろ幸せを祈るキャラクターの動きによって、常識や既成概念は敵視されているようにも思える。

  • 愛の描かれかた


前述のように、「まんまんちゃん・あん」は過程にある。セックスはそれの補助エンジンみたいなもの。「だって愛してる」はそれ自体が主題だ。日常のどこかしこにあって、飛行機の翼みたいに、なければ成立はしないくらいに重要だ。




性善に根ざした作品は読んでてほんわかするけれど、性悪が描かれる作品は読んでて面白くはあっても読み返すのにはちょっと躊躇してしまう。疲れる。それだけでこのエントリ書いたが、いかにぼんやりしてるかが如実に表れるね。